バルト3国 リトアニア共和国から
国際交流員 マンタスさん赴任
日本文化に深い関心 日本語も堪能
リトアニア共和国からの国際交流員(CIR)として6日、マンタス・ヤケレイテスさん(24)=写真=が赴任した。前ホノルル総領事で、在リトアニア日本国大使館の重枝豊英特命全権大使が八丈を視察訪問したのをきっかけに、町がJETプログラムで、リトアニア国内で公募したもの。任期は1年間で、最大5年間更新できる。
子どもの頃からアニメが好きで、日本の武士、サムライに興味を持ったというマンタスさん。日本の現代社会、歴史や文化への関心が高まり、大学入学前から独学で日本語を学んだ。特に影響を受けたのはゲーム「ファイナルファンタジー」の植松伸夫さんの音楽。その世界観に憧れて、ピアノも始めたという。
大学ではアジア文化・アジア言語を専攻し、日本への傾倒を深めた。20歳の時、文部科学省の奨学金で大阪大学に1年間留学し、日本語や日本文化について学んだ。アニメを通して日本のことは知っていたので、カルチャーショックはなかった。ただ、東京や大阪、北海道、四国など、日本の各地方がどう違うのかの知識はなかったという。
20歳の多感な留学生にとって観るモノ、聞くモノすべてが新鮮な大阪での1年間は最高の時間だった。伝統文化の歌舞伎、浄瑠璃などにも生で触れ、友だちと行ったUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にも衝撃を受けた。タコ焼き、お好み焼きも忘れられない味だ。「大阪の空気は肌にあっていた」とマンタスさん。
出身地はリトアニア第二の都市・カウナス(人口約29万人)。第二次世界大戦中はこの町に臨時政府と首都がおかれ、日本領事館があった。現在、領事館の建物は「日本のシンドラー」として知られる外交官の杉原千畝記念館に改装され、一般公開されている。
「命のビザ発給した杉原千畝外交官」
1940年7月、ナチスの迫害から逃れるためにポーランドをはじめ、ヨーロッパ各所から多くのユダヤ人が、日本を通過するビザを求めてこのカウナス領事館にやってきた。ビザ(通過査証)を得て日本を経由し北米に逃れるのが彼らの残された唯一の道だったからだ。
外交官で領事代理だった杉原は本国へ大量のビザ発給を打診するが、本省からはビザ発給を拒否せよとの回答。杉原は悩み苦しんだ末、自らの良心に従い独断でビザ発給の道を選択。それは、人道・博愛精神にもとづく「命のビザ」発給という大きな決断だった。
外務省からの訓令に反して、杉原は2139通のビザを発給した。1通で家族みんなに適用できることから、約6000人の避難民を救ったとされている。
マンタスさんは、カウナスのヴィータウタス・マグヌス大学在学中から日本語の通訳として同記念館で働き、卒業後も勤務していた。来館者は年間1万7千人ほどで、8割以上がリトアニアを訪れた日本人だという。
国際交流員として町企画財政課に籍を置き、世界へ向けた八丈島の情報発信や、20年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えた外国人来訪者、観光客の誘致や集客、受け入れ体制の構築などを行っていく。
|