驚異的な正確さ 国宝 伊能図
伊能忠敬測量団の偉業 小島実測わずか2泊で
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伊能忠敬記念館(香取市佐原)所蔵の「伊豆国附八丈島并属小島沿海地図」。国宝に指定されている同館所蔵の伊能忠敬関係資料2345点のひとつ
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50歳を過ぎて暦法を学び、優れた技術で日本全土を歩いて地図を作製した伊能忠敬(1745〜1818年)。写真の「八丈島并属小島沿海図」(1万2千分の1)は、1815(文化12)年、門弟たちが測量して作製した(忠敬は伊豆七島の測量には高齢のため不参加)。
忠敬の測量法は、前方に立てた目印の梵天が北から何度の方角に見えるかを方位盤で測り、間縄で距離も測る。夜は象限儀で恒星の高度を測って緯度を求めた。地図上の朱色の線は歩測した場所。八丈の資料館にある1846(弘化3)年の地図(町指定文化財)より31年前のものだから、より古い地名を知る手がかりになる。
測量団(永井充房、坂部弘道、門谷清次郎、箱田真与ら11人)は、5月18日下田を出て三宅島経由で22日に八丈島に着く。測量を終えてから約半月ほど風待ちをして6月29日に御蔵島方面へ向けて出帆するが、4日間漂流して三浦半島に漂着。再び御蔵島へ向かい、伊豆の島々を測量して下田へ戻ったのは11月10日だった。
『測量日記』には、八丈島の惣鎮守「優婆夷宝明神社」や、為朝を祀る小島の「八郎明神」についても詳細に記録されている。
小島には6月11日に着き、鳥打村の名主宅に2泊して測量した。随所にある海岸の大絶壁では、舟を使ったり逆方向に測量して測線を繋いでいる。困難さがうかがい知れるが、どれほどの偉業であったかは、地図の驚異的な正確さが物語っている。
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