東京・品川区に、青ヶ島、八丈島と関わりの深い著名な織物作家がいる。草木染め、手織りにこだわり、きものや帯などを制作している「錦霞(きんか)染織工房」の藤山千春さん(68)だ。自身は品川生まれだが、母は青ヶ島出身。母方の親戚がいる八丈島には子どもの頃からよく遊びに来て、機を織る音や草木を煮出す匂いにふれて育った。
藤山さんの作品に魅了されたファンが、その原点となっている八丈島と青ヶ島を見たい――と、10日から2泊3日、9人で両島を訪れた。工房で染織の仕事に取り組む2人の娘のうち、長女の優子さん(36)も今回同行した。
藤山さんが織り上げる布は「いつ見ても新鮮で、いつまで眺めていても飽きがこない」といわれる。織の基本は、江戸時代に生まれた「吉野間道(よしのかんとう)」。京の豪商が寛永年間(1624〜1643)の名妓(めいぎ)・吉野太夫に贈り、愛用されたことから、この名が付いたといわれる。
母の勧めもあって、織物を学べる女子美術大学工芸科に入学した藤山さんは、柳悦孝氏(柳宗悦氏の甥)の下で工芸を学んだ。同大を首席で卒業した時、柳氏からもらった手紙には次のように記されていた。
『ある時は己をかたく持ち、ある時は己を振り捨てて自由になれ。仕事のためには物にとらわれぬ事が何より大切だ』。
運命の糸に導かれるように、卒業後は柳氏に師事。そこで、柳氏が復元した吉野間道と出会う。吉野間道は、平織の上に縦と横の縞が真田(さなだ)紐風に織られた名物裂(めいぶつぎれ)の一種。その中でも最上品に位置づけられている。
2年間の修行を経て自身の工房を構えた。失敗を重ねるうちに、浮織り柄を創出し、現代の感性で美しい色合いの吉野間道を世に広めている。すべての作品が100%天然染料で、その一つ、クサギの実は、八丈島の親戚が収穫して送ってくれる。
「伝統の織物産地では、歴史を守るという使命がありますが、私の場合はひとりで始め、古布に魅せられ、自分のやりたいように作り込むことができた」と藤山さん。
伝統技法といえば、藤山さんは若い頃、八丈島で故・玉置びんさんからカッペタ織を習ったことも。「山から採ってきた竹で道具の綜絖枠(そうこうわく)を作り、もらった小切れをほどいて織り技法が解決したときは感動しました」と話す。
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18歳で織りを始めてから50年。年内には、吉野間道を研究、製織してきた藤山さんの作品や物づくりへの思いを載せた書籍『藤山千春五〇年の足跡』が出版される。
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