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第3477号  2011年(平成23年)4月1日金曜日


八丈島が被災したら 水、備蓄、物流、データ… 町議会定例会
各島の被災者受け入れ 大島町160人、三宅村50人
飲料水の汚染心配」 町水道係に3日で20件 3浄水場の水 検査へ
●「支援情報 集約を」 東京は福島県を応援 社協役員会
● 避難者の食事作り「協力したい」 婦人会役員会で口々に
● 被災地支援フリマ開く 

● ランドセル41個、仙台・枡江小へ
● 何もかものみこんだ津波 「オムツだけ持って高台へ」 釜石市の駒林さん一家 母親がいる八丈へ
春の異動 人事トピックス

● 島は旅立ちの時 八高吹奏楽部 鈴木孝助教諭も
● 町から事業受託できる組織に 一般社団法人八丈島観光協会 今日スタート 議会に法人化の経緯説明
● さわさわ 「いったい…」 森清耕一氏
● タイル壁画で黄八丈 大小児童卒業記念
● 宿で避難者の受け入れ 1泊5000円で 国が負担
● にっぽん丸寄港 客は3分の2に
● 三根会総会中止
● 首都の防災対策も焦点 都知事選11人立つ 10日に投開票
● たんしん 小中高 入学式
● たんしん 第9回檜之扇会舞踊公演




何もかものみこんだ津波「オムツだけ持って高台へ」
釜石の駒林さん一家 母親がいる八丈へ







 東日本大震災で壊滅的被害を受けた岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区の駒林強生(つよき)さん(27)の一家3人が27日、八丈島に避難してきた。強生さんの母・眞知子さん(55)が昨年夏から八丈ビューホテルに勤務しており、被災地から身を寄せることになった。空港で元気な3人と対面した眞知子さんは孫の強矢(きょうや)ちゃんをしっかりと抱き上げて、無事に再会を果たせたことを喜んだ。
 駒林さん一家は、妻のみなみさん(21)、長男・強矢ちゃん(1歳5カ月)の3人家族で、自宅は海岸から約1.5キロほど離れた鵜住居川の支流のすぐ近く。トヨタ自動車グループの関東自動車工業でキャリアカーの運転手をしていた強生さんは、11日はたまたま休みで自宅にいたという。
 大きな揺れの後、津波警報が鳴り、着の身着のまま、家族3人で家を飛び出した。持ち出せたのは強矢くんのオムツ6枚だけ。途中、祖母とも合流し、高台にある鵜住神社に向かった。「最初は川が逆流して海側から木がいっぱい流れてきた。そのうちゴォーという轟音がして、堤防が決壊し、津波が一挙に押し寄せました。映画を見ているようでした」と妻のみなみさんはいう。
 津波は一瞬にしてふるさとの風景を変えた。自宅も流され、家族以外、すべてのものを失った。車で15分ほど先の釜石港の埠頭では、強生さんが東北各地の工場から集荷した1000台近い輸出用の新車がすべて海に消えた。
 無事、神社に避難したのは130人ほど。寒さが厳しく女性と子どもが屋内に入り、男性は外でたき火をしながら夜を明かした。翌日から津波被害を免れた友人宅に、3家族11人が身を寄せて3日間過ごしたが、電気や水道、食べ物もない。いつになってもおさまらない余震の中での避難生活は、強矢くんや妊娠5カ月のみなみさんにとって過酷過ぎる環境だった。「このままではよくない」。5日目の16日、車に便乗させてもらいながら、内陸側に約40キロ入った遠野市の親戚の家に祖母と共に避難した。
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 八丈にいた眞知子さんは、震災発生後に釜石の家族となんとか連絡を取ろうとしたが、電話はつながらず、安否を知る手立てはなかった。テレビからは、鵜住居地区の浸水予想区域外にあった2階建ての地区防災センターが津波に襲われ、多くの人が亡くなったというニュースも流れた。
 家族の消息情報を登録していたインターネットの被災者情報サイトに、16日になって強生さんの兄・隆之さん(33)の会社の関係者から、家族の無事を知らせる書き込みがあった。
 眞知子さんが強生さんと連絡が取れたのは24日になってから。みなみさんの出産も考え、強生さん一家は、母親の元に避難することを決めた。2人は27日、花巻空港から羽田経由で八丈島に到着した。
 八丈島に着いて、母親の元でようやくひと息付けた3人。28日には町立病院を受診し、母子ともに健康に問題がないことがわかった。避難を知った多くの島の人から、子供服などさまざまな支援の物資も届けられた。強生さんは「島の方に暖かく迎えていただき感謝しています。まだ、先のことを考えられる状態ではないのですが、少なくとも妻の出産まではここでお世話になりたいと思っています。落ち着いたら、会社のこともあるので、一度、釜石に帰るつもりです」と心境を話していた。
 強生さんは地元に伝承される郷土芸能「虎舞」の踊り手。土木関係の仕事をしている兄の隆之さんは、現在も被災地でがれきの撤去作業を続けているが、「もう一度、兄と一緒に虎舞をやりたい」と、強生さんはいう。