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第3698号  2018年(平成30年)3月23日 金曜日


● 現 歴民資料館 あと1週間で見納め 昭和の雰囲気漂う 木造建築
    都と協力して再生

● 17年度都総合交付金 八丈町15.6億円
    東京都市町村総合交付金 島しょ各町村交付額
● 七分咲き フリージア畑 まつり前からにぎわう  
  
● SHIP&熱中小コラボ── 八高魅力化のアイデアあれこれ
    園芸科の野菜 地域にも販売を 
        「八高生が先生に」
● 20年度からの入試改革 島の強み活かして 八高卒業生 大学進学42%
    就職 全員が島外へ
● 八高入学 3年ぶり60人台へ 全日制 島外から3人
    定時制 4人が転入
● 新しい「くさやロゴ」発表 水産加工協通常総会 
    大ムロに泣き 春トビ期待 
● フリージア1400本配る 芝税務署前で

● 旧支庁庁舎台風で被災後新築 「どっしりした偉容」 昭和14年に上棟式
● 太鼓のチューニング 石井秀さん ドラム部品で考案

● 南海俳壇 八丈俳句会(三月例会)

● 「今日も嫌がらせ弁当」映画化 母役 篠原涼子 娘役 芳根京子 全島ロケ 地名は実名で
    島民もエキストラで
● A320 部品待ちで6日間駐機 エンジンカバー交換
●1日の町議会
    職員等給与アップ
    中道団地建築契約
● 小学校卒業式 黄八丈姿も
● 全国レベルのフットサル体験
● 三根公民館完成 出張所業務26日から

● たんしん
    6日に小学校、9日に中学校と八高定時制、10日に同校全日制で入学式が行われる
    春の全国交通安全運動は6日〜15日。パレードは8日9時30分末吉スタート、三根小正午ごろ到着

    第50回八丈島ジュニア全島卓球大会結果
    


 


現 歴史民俗資料館 あと1週間で見納め
昭和の雰囲気漂う 木造建築



 懐かしさ漂う資料館の廊下



 最も価値があるとされる正面玄関。入り口のコンクリートにはサンゴ片が塗り込められている。「東京都八丈支庁」の文字は東龍太郎都知事(任期=昭和34〜42年)の揮毫によるもの。



 木枠の窓にはめられたガラスのうち約40枚は明治後期から大正時代に製造された大正硝子が残っている。光の屈折がいびつで、硝子越しの風景のゆがみを見るのも楽しい



 旧八丈支庁庁舎を利用して、1975(昭和50)年に開館した「八丈島歴史民俗資料館」が、3月31日で閉館となる。町では特別なセレモニーは行わないとしており、現建物での資料館展示はこの1週間で見納めとなる。島民の入館は無料。散歩がてらに足を運んでみては…。


現資料館の建物は1939(昭和14)年、同じ場所にあった旧八丈支庁庁舎を建て替えたもの。八丈支庁は71(昭和46)年に現在地に引っ越し。その4年後に町が旧庁舎を借り受け、八丈島歴史民俗資料館としてオープンした。
 島の歴史を語りかける所蔵品は約1600点。長い廊下と各展示室の配置は、昭和の雰囲気が漂う学校校舎を連想させる。懐かしくて温かみがある木造建築は、来館者に好評だった。
 99(平成11)年、八丈島発展の中心地にあり、年代を感じさせるものとなった同建物は、国の登録有形文化財に登録された。その際町は、「文化財と一体化した雰囲気をかもし出すもの」「釘を使わない柱と柱を組み合わせ、木材間の収縮調整ができる設計で、職人の熟練された技が凝縮されている」などの所見を上げ、これに対して文化庁は「八丈島で有数の規模を誇り、島の近代史上重要な役割を果たした建物である」と評価し、文化財登録を行った。
 一方で、建築から時を重ねる中で、建物は内装、外壁、床、基礎、建具など各部で経年劣化が進行した。雨漏りもあって96年には鉄板の屋根を現在のシングルに葺きかえた。それでも、十分な予算がかけられず、空調施設やバリアフリー化、トイレの問題など、展示施設として備えるべき機能も未整備なところも。  
 01年度に2万4千人台だった来館者数は、その後、観光の落ち込みに比例するように減少。ここへきて団体客の増加と共にやや上向きになり、16年度は1万4千人台となった。
 15年2月、建物を所有する東京都が耐震診断を行ったところ、「倒壊する可能性が高い」との結果を得た。町との協議の上、今年3月末で一般公開を終了、8月20日には都に返還することで合意していた。
 閉館後の4月以降は資料館内の展示物を一時移転先や保管先(丘里の旧職員住宅)へ搬出する作業などが行われる。

 歴史民俗資料館は八丈支庁展示ホールに一時移転し、その後、現在地での再整備を目指す。町では同建物の耐震化、改修を行い新しい資料館として活用したい意向で、都に対して、国の登録有形文化財として協力して再生と活用を図っていきたいとの要望を、各チャンネルを通じて行っている。


    

旧支庁庁舎台風で被災後新築
「どっしりした偉容」
昭和14年に上棟式

昭和14年4月9日の上棟式。


三原山側から見た支庁庁舎。左は八丈富士すそ野、右端は大賀郷の護神山、遠くに神止山が見える。中央手前の山は、戦中戦後に飛行場の建設で平らげた「大凸部」(オオトンブ)、または「小凸部」?



 まもなく閉館になる歴史民俗資料館の建物は、1939(昭和14)年に本館(約128坪)が新築、昭和17年に別館(約60坪)が西側に増築され、現在の総床面積622・82平方b(約188坪)になった。建設当時の歴史を、上棟式の写真とともに振り返ってみよう。
 新築前の庁舎は、家屋300戸が倒壊する大きな被害をもたらした昭和13年9月の台風で被災し、シロアリの食害もあり、老朽化していた。当時の南海タイムスに、新築工事は沖山治平氏と、工費1万1千5百円で随意契約を結んだ、とある。着工は昭和14年1月12日。整地は青年団が総出でやった。
 4月9日の上棟式の記事は、「外観よりも暴風その他の耐久に力を注いだ建物」「どっしりした偉容は…頼もしさを覚えさせる」と伝えている。柱は島外から取り寄せた5寸角(15a×15a)のヒノキ。沖山氏は昭和10年の末吉小校舎の建設にも携わった名棟梁だった。
 落成式は行わなかったのだろうか。紙面でわかるのは、上棟式の時に完成を5月末頃としていたことや、「新装なった同庁舎で7月25日に島珊瑚の第一回入札が行われた」ということだけ。人海戦術による突貫工事だったのかもしれない。日中戦争のさなかで、太平洋戦争の開戦を2年後に控えていた。
 サンゴといえば、正面玄関のコンクリートに、赤やピンク、白のサンゴのかけらが塗り込まれており、水に濡れると、今も発色する。島がサンゴ景気に沸いていた頃をしのばせる。
 支庁が大里から今の向里へ移ったのは1908(明治41)年。向里の敷地は向かいの奥山家の所有(都道整備前は地続き)だったが、東京府へ寄付したという。1926(大正15)年までは島庁と呼んでいた。写真左は支庁にソテツを植えた時(撮影年不明)。建物は新築前の庁舎だろうか。