kiji101112kiji101112
 
過去記事TOPTOP
kiji110325kiji110318

 


第3646号  2016年(平成28年)1月29日 金曜日


● 定住支援・雇用促進重点に 町、創生総合戦略案示す
    議会の反応は… 
    「総花的で従来型」「インパクト不足」「目標値低い」
    八丈町まち・ひと・しごと創生総合戦略(案)
● 八丈島出身の作家 滝口悠生さん 「死んでいない者」で 芥川賞 (2面に関連記事)
   
● 芥川賞作家に滝口悠生さん 2度目のノミネートで 昨年は野間文芸新人賞も
    「語りが巧み」
     島の葬式、通夜のイメージも 賞のこと 作品のこと 聞きました
● 「さらに精査・調整中」地熱事業者公募遅れで説明
● 洞輪沢温泉の再開 夏以降にずれ込む
● 八丈島観葉トレードフェア 全国産地が品不足 「チャンスなんだけど…」
● さわさわ 空き家問題
  
● 秀家を顕彰し観光にも寄与 「久福会」発足 「交流の輪をさらに」
● 「久福松」に新史料─── 105年前の暴風で幹折れる
● 郷友会総会 「空の便維持に全力を」 来賓ら、危機感示す 
● クジラ再び回遊 
● 西之島の火山活動が休止状態に
● 東京でライブ、公演
● 南海俳壇 八丈俳句会(一月例会)

● 昨年に続き3大学が春季合宿 東経大野球部 83人 早明サッカー部 40人    
● 航空運賃特別委 活動大詰め 調査報告書まとめ提出へ
● 聟島で初のヒナ
● コラボも楽し!文化フェス
● 武道始式 柔道 代表戦で決着
● 軟式野球リーグ パイレーツ連覇
● たんしん 
     3小学校の学芸会 大小 31日、三原小・三根小 2月7日
     八高美術部校外展 3日〜10日、町民ギャラリーで
     八高園芸科発表会 5日、同校実習棟農業科学基礎実習室で
     第104回樫立住民総会・樫立自治会総会 11日、樫立公民館で
     P連作品展 13日10時〜16時、14日9時〜11時30分、富士中体育館で
     講演会「島で育って、島で育てて」 14日同図書室で
     うれP家主催のPARTY 13日、ポットホールで
     サッカー・第34回八丈リーグ結果
          


 

105年前の暴風で幹折れる

久福松に新史料



明治41年発行の「日本史蹟」より

秀家を顕彰 「久福会」発足

「交流の輪をさらに」


 

 八丈島最初の流人となった戦国大名、宇喜多秀家(1572〜1655)を顕彰しよう―と、島の住民有志が15日、「八丈島久福会」を発足させた。会の名称は、秀家が八丈島で号(名)を「久福」と変えたことにちなんだ。歴史の理解を深め、供養の会を開くと共に、秀家ゆかりの岡山市、瀬戸内市、垂水市、妻の豪姫のふるさと金沢市との絆を深めることで、八丈島の活性化と観光の発展に寄与するのが目的。
 会のメンバーは、これまでも秀家を顕彰する岡山の「宇喜多家史談会」などとも交流を深めてきた。昨年の秀家没後360年鎮魂祭では、慰霊法要のほか、08年に岡山から秀家の住居跡に移植された「久福松」を多くの人に見てもらおう――と、手作りのたいまつや岡山産のキャンドルでライトアップするイベントも実現させた。
 会員は、秀家の菩提寺である宗福寺の住職・源博道さんら18人。会長の土屋久さん(元八丈町公営企業管理者)は「秀家が暮らした頃の島の歴史を正しく伝えていくための研究を行い、秀家を縁に広がった輪をさらに大きくしたい」と話している。
 発足式では、「久福松」が1911年の暴風で幹が折れ、枯損したとの記録が、公文書で確認できたことも報告された。


                明治44年に枯れた久福松  公文書に記録

 1869(明治2)年に赦免となった宇喜多一族は、宇喜多家史料を持って島を出ている(島に秀家の史料がほとんど残っていないのはこのため)。持ち出された史料には、秀家が植えた松の逸話が記されている。「久福松」と称されていたこの松は戦時中までに伐られたとみられていたが、1911(明治44)年の暴風で幹が折れ、枯れた――と都の公文書に記録されていることがわかった。
 公文書は、1928(昭和3)年に東京府が発行した『八丈島概観』(大賀郷、浅沼研さん所蔵)。『関ヶ原の戦に敗れ配流の身となりし中納言宇喜多秀家を葬る墓後に老松ありて、久福の松と称せしか、明治四十四年暴風の為に其幹を折られ枯損したり』と記されている。
 金沢市立玉川図書館所蔵の『宇喜多家史料』を翻刻し、八丈島での秀家の心境や動向などが記された貴重な史料を発掘したのは、岡山の「備作史料研究会」。同研究会代表の人見彰彦氏は07年の八丈島での講演会(山陽新聞社主催)で、これを紹介した。そのひとつが、『久福様御遺訓』に記された「我(=秀家)手植ノ松ト云ハバ人モ珍見スベシ、スジョウヨクソダテヨ」という松の逸話だった(人見氏は、翌08年の久福松再現の際には、秀家の生誕地などから移植する松の苗木探しや手配などに力を尽くした人でもある)。
 明治の書籍『日本史蹟』(昭文堂刊)には、暴風で折れる前の久福松の貴重な写真が掲載されている=写真。他の樹木や五輪塔と比べても、松が相当高いものであったことがわかる。