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第3595号  2014年(平成26年)2月28日 金曜日


● 医事会計、オーダリング、電子カルテ 医療情報システム転換 町立八丈病院 3月3日から稼働
● 院外処方も本格スタート
● 今秋の町議選 日程決まる 10月14日告示、19日投開票


● 九州の地熱事情@ 発電所と臭気
  豊かな温泉資源 大分・鹿児島の発電所視察
  雲仙・小浜温泉 未利用温泉でバイナリー発電 推進団体が八丈を視察
● FIT、補助金、規制緩和で国が後押し 加熱する「地熱ビジネス」

● 新潟から力石さん夫妻 父の供養で訪島
  太平洋戦争悲話 三原山「とびヶ口」で 陣地構築中、土砂崩れ 兵士約20人が死亡
● 3本あった防衛道路 立原弘さん入手の図面に記載

● 三原中 方言学習活動の研究発表 「負担ないよう楽しく」

● ピアノ、アンサンブル 春の調べ 2つのコンサート
  吉井彩さんのリサイタルも 15日 ムジカ☆ステラ主催
  子供に聴かせたい音楽 16日 5人のアンサンブル

● 八丈島芸能文化祭 初の試み、即興コラボで
● 3月1日〜31日 八丈ー御蔵間休航 愛らんどシャトル 代替機運航で
● 底土船客待合所 外観あらわす 橘丸とともにこの夏デビュー
● 「しままん」第2巻
● たんしん 富士中展示会と大賀郷中学習発表会 8、9日 三原中学習発表会 9日 各校で
       第66回八丈島民大学講座「宮沢賢治の世界」8日19時30分〜、9日14時〜 七島信用組合2階ホール

      

 

 

新潟から力石さん夫妻  父の供養で訪島





土砂崩れの現場「とびヶ口」で花などを手向ける力石さん夫妻




  太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月17日、八丈島で陣地を構築していた守備隊員約20人が三原山の東側で起きた土砂崩壊で亡くなるという惨事があった。その犠牲になった父の供養のため21日、新潟県長岡市在住の力石勉さん(69)が妻の久子さん(64)と島を訪れ、山崩れの現場で花を手向けた。
 勉さんの父、力石嘉藤次さんは、三原山の東側山腹に本部があった「独立歩兵第669大隊」(通称=大橋部隊)に配属され、島に到着した昭和20年3月26日から陣地構築にあたっていた。
 三根村の記録によると同年6月18日に「山崩れ(とびヶ口)の為、大橋部隊で約20名生き埋めとなる」とある(『八丈島の戦史』山田平右エ門著)。戸籍上の死亡の日付が6月17日となっていることから、勉さんは新潟県庁に確かめたところ、前日からの大雨で山が崩れ死亡(戦病死)、と記録されており、土砂崩れの発生時刻は6月17日午後7時ごろとわかった。三根村に通報が入ったのが18日だったのではないか、と勉さんはみている。

 

 勉さんは訪島前、土砂崩れの現場を町教育委員会に問い合わせた。同教委の林薫さん、茂手木清さんが現場を下見し、当日は茂手木さんが夫妻を案内した。三原林道から脇道に入った通称・とびヶ口(別称=しんべた山、標高=536メートル)の山頂のすぐ下辺りだ。
 勉さんは、突き当たりの山の斜面に果物や花を供えて冥福を祈り、「70年近く経った今、ようやく嫁も連れ、お参りに寄せてもらいました」と、嘉藤次さん宛に書いた手紙を読み上げた=写真。
 嘉藤次さんが亡くなったとき、勉さんは1歳だった。上に姉がふたりいる。勉さんは「妻と子供3人を残して戦死してしまったことは、さぞかし無念であったと察します。もし、もう2カ月ほどこの事故が起きなければ8月には終戦となり、家族の元に帰ることが出来たと考えると大変残念に思います」とつづけた。
 事故の現場に供えたのは、勉さんが栽培した花(ストック)や、きょうだい3人の名を記した線香とローソク、戦後亡くなった家族の戒名を記した紙、新潟県庁から入手した「陸軍戦時名簿」「陸軍兵籍」「戦没者調査票」の写しや父への手紙。夫妻は、遺骨の代わりに――と、島の土を持ち帰った。