頭を残して放られる 清水あすか


そのふくふくとしてやらかいもの。

子どもはふくふくとやらかいものをくばるので
ママはわたしをとしょうりのところに連れて行く。

子どもはてぇげぇはんけなので
ぼけたみかんを大わらいして
二つたべて、三つたべて、四つめを半分こしてたべられる。
子どもはこたつの角にさす西日を
きれいと思い、
たいくつを転がして
しかし笑いながら、
指先でその影をなぞってあそぶことができる。

子どもはしわしわの千円札の、
価値がわからなくても、意味を見ることができる。

今日会ったとしょうりが近いうちまるぶのは、
とてもよくあるおはなしなので、わたしは名前をおぼえたりしない。
ママはわたしを色んなとしょうりのところへ連れて行くので、
初めて会うとしょうりに、ぼうくなって、と言われると
その人が知ってるわらいがおになれる気がする。
最後にわたしに会えてうれぇしかったろうあの人は、とママがゆうので
わたしはママの、ありがとうねぇ、ということばだけおぼえて
その人がまるぼことはわすれる。

ふくふくとやらかいものを置いて帰る道で
ママは、としょうりは子どもを見るとうれぇしけだら、とゆうので
ふくふくとやらかいとはわたしのうれしけことと知る。

ママは少し小さくなったので
わたしは左右にゆれながらちぃと大またに歩いて
だからふだんもまっすぐに歩かない。
わたしはママのもってる千円札も
きっとしわしわなんだろうとおもっている。

しかしてぇげぇとしょうりは先にまるばぁんて
時々おもう。ふりかえったら
だれもいない。しかし
だれもいないところから来て、
だれもいないところにわたしは帰ってしまうから
だれもいないのは始めからかと
おもい出して、ママとふたり
左右にゆれて、歩いて帰る。

右手にさっき半分にわったみかんを持っている。
西日のときの影は、長くてあたまはねぇこくて
わたしは影の、あたまの先を
手をのばしてなでてみる。


そのふくふくとしてやらかいもの。




     定価 1000円


清水あすか 
1981年八丈島生まれ。文化学院創造表現科卒。在学中から絵、詩、エッセイなどの創作に取り組み、個展「やわらかな世界」(05年7月)、二人展「満ちて行く。」(06年7月)を開く。
卒業制作として詩集を編み、それをベースに、17編の詩を収めた「頭を残して放られる。」(南海タイムス社刊)をこのほど自費出版した。収録作品の多くは八丈島が土台になっている。「そのふくふくとしてやらかいもの。」はその中の1編。
「島は本土との間に海という絶対的な距離があり、誰かが亡くなるような大事な時でも、帰れないことがある。自分の力だけではどうにもならないことがあるのだと教えてくれたのが、島」。 
詩集は島内の書店などで販売している。





ここから今にいらっしゃい。

わたしは子どものほほに指をつけ
一つを噛み、口うつし、またことばを噛み、言って聞かせる。
 「まるで今まで生まれた子のように、わたしはおまえがかわいらしい」

水海山とはまるで海のがん、水の湧こ山と言おじゃ。
耳元に言われたとき、くすぐった息が出て
わたしはそこへ建つという、一般廃棄物管理型最終処分場を身ごもったのです。

この体の毛穴にぶったつ木を伐採し
口から腕を刺し、中を掻いて工事する。
男衆が土を掘り道具を洗い、女衆が土を固め道具を研ぐ。わたしはそして
十月十日を守り、ふくらびた腹からのうたに応える。
 「洋洋、周りはみんな、おまえを女の子だと知っていますよ」

雨が透明にふくらむ水場、いもりの腹は手に付いてぬぐう程赤い太陽の沈む色。
さびた背中は青寒く、ここで卵を産む。水が
からだをまあるく指なぞり、金の目がほそい声で方方にうたう。
 「知っていたことでありましょうが、
  子どもがこがんいとおしく生まれました」

プレハブのお堂で、となりととなりとも手を持ってじゅずでつなぎ、
なむあみだぶつ。詠唱をする。なむあみだぶつ。終わったら
としょうりは急いでゴザを寄らせて、子どもに駆けつけ
又はこしらえたばかりのよだれかけを、早くしたかったと、地蔵の首にかける。
 「わかってあることではありましたが、 
  子どもが生まれるとはうれしけことでございます」

としょうりが足で水をはね
その音にいもりは固まって、右を見る、左見る。
4tトラックがアスファルトの上、土を運ぶ、石を運ぶ、木を運ぶ
和讃を運ぶ、昔も運ぶ、女を運ぶ、山びこを運ぶ、手拍子を運ぶ
あの搬入道路こそ、わたしの産道でございます。

旧水海山地区一般廃棄物管理型最終処分場
それからわたしを産んで下さい。



「起きたことを、起きたままの重さに見る」

 末吉・清水あすかさん(26)の詩「ここから今にいらっしゃい。」が、現代詩手帖6月号に掲載された。同誌からの執筆依頼を受けて書き下ろした作品で、特集「新鋭詩集2008」の一編として紹介された。
 清水さんは第1詩集「頭を残して放られる。」が中原中也賞の最終選考に残るなど、注目を集めている。今回は詩とともに、「今詩を書くということ」のテーマで、400字のエッセイも掲載された。その中で清水さんは、「詩を書くのに必要なことの一つは、当事者であることだと思います。自分の前の物事を、それによって発生する全ても含めて、そのものを引き受けること。評価するのでなく常に、真っ只中に立つこと、そして見ること。考えのでかくなりすぎた頭から、一つの体そのものに帰ってきて、起きたことを、起きたままの重さに見ようとするとき、そこには本当の実感があり、それは私の詩のことばになります。道に一つ落ちた石からも、新聞を覆う事件からも、そこにある途方もない責任によって、私は詩を書いていきます。」と、自らの詩作へのスタンスを表明している。(08年6月13日付 南海タイムス)