09/10/30






 夢つかむ 武宰士選手 八丈初のJリーガー誕生

 アルビレックス新潟は27日、大賀郷出身の奥山武宰士さん(18)と来期新加入の仮契約を締結したことを発表、八丈島から初のJリーガーが誕生した。「絶対にプロサッカー選手になる」と決意して島を離れたのが11歳、大賀郷小学校5年生の時だった。中学、高校時代を通して柏レイソル、アルビレックス新潟のユースに籍を置き、各世代の日本代表にも選ばれ、国際試合も経験してきた。父親の奥山清満さん(55)は「Jリーガーになるというのは星をつかむような話だったのですが、夢が実現してホッとしました。これまで応援していただいた多くの方に感謝します」と、思いを語った。

 27日、武宰士選手との仮契約を伝えたアルビレックス新潟の公式ホームページは、「卓越した技術を武器に、冷静かつダイナミックなプレーで観るものを魅了する。ワンプレーでゲームの流れを変えることができるゲームメーカー」と武宰士選手のプレースタイルを紹介した。
 小学3年でサッカーを始めた武宰士くんがJリーグ「柏レイソル」の入団セレクションを受けて合格したのは5年の時。270人中、合格が2人という狭き門だった。入団が決まり、母親の絹代さん(55)と2人で千葉県柏市に移住。島には父と姉の美帆さん、弟の豪士さん(現在、帝京高校サッカー部所属)が残り、家族も離ればなれになった。武宰士くんは持ち前の順応性の速さで、生活環境の変化にもすぐに慣れ、自分の夢に向かって力強く歩み始めた。
 中学3年の06年4月、イタリアで開催されたフランコ・ガッリーニ国際大会にU‐15(15歳以下)の日本代表選手として出場。対アメリカ・ピッツバーグ戦で代表初ゴールも決めた。同大会にはイタリア国内の17のクラブチームのほか、日本など3カ国の代表チームも参加、日本代表は決勝でセリエAの名門ユベントスU‐15を破り、優勝した。

 高校進学に合わせてアルビレックス新潟ユースへ移籍。高校は通信制の開志学園高で通学するのは週に1日。練習に明け暮れる寮生活では、食事やトレーニングの両面からフィジカルの強化にも力を入れた。
 08年にはJサテライトに5試合出場。8月には高校生ながらJ1の試合に出場できるJリーグディビジョン1(2種登録)の資格を得て、アルビレックス新潟の「背番号32」を手にした。
 09年1月には高知と静岡で行われたトップチームのキャンプに帯同。Jサテライトに6試合出場して1得点を上げた。そして夏、U‐18日本代表としてSBSカップ国際ユース大会(静岡)、仙台カップU‐18国際大会に出場し、代表として実績も積み上げてきた。
 高校3年の秋は、プロ野球で言えばドラフトの季節。Jリーガーになれる高校生は年間50人ほどで、候補選手にとっては期待と不安が交錯する時期だ。そんな心境を打ち明けられたこともあったという母親の絹代さんは「子どもが自分で決断する前に親がどうするかを決めることはできないので、自分が選んだ道が正しいんじゃないのと、背中を押して上げることしかできませんでした。とにかくサッカーが大好きな子で、まわりの方々に恵まれてここまでこれました」と語る。

 武宰士選手の小学校時代にその素質と才能に惚れ込み、離島後も公私にわたってサポートしてきた元八丈島法務局勤務の谷田部啓一さんは「才能にも恵まれていたが、小学生の頃から人の話をよく聞く、研究熱心な子だった。冷静に試合の流れを読んだプレーに磨きをかけて、スタメンになれる選手に育ってほしいし、人間としても成長してもらいたい」とエールを送った。
 プロ入りの報は、さっそく島のサッカー関係者の間に広がった。サッカー協会の奥山秀人会長は「島からでも努力すればJリーガーなれることを証明してくれ、後の世代にも励みになる。ただ、プロは1年1年が勝負で、これまで以上の努力が必要になると思う。協会としても後援会の発足を急ぎたい。島から大勢の仲間が応援しているので1日も早くJリーグのピッチに立って活躍する姿を見せてほしい」と期待をふくらませた。
 写真提供=アルビレックス新潟