09/1/1














 江戸時代に八丈島が生んだ漢学者・高橋與市(よいち)の実家に遺る古文書類の記録作業が、島内外の研究者の手でスタートした。昨年12月13日から3日間、撮影が行われたもので、写真データは研究者らがそれぞれ持ち帰り、「大切な資料なので、保存整理していきたい」としている。
 高橋家資料は、三根、高橋タネさん(80)宅にある。記録作業の必要性は以前から指摘されていたが、東京の順天堂大学で行われている「八丈島の古文書を読む会」の発案でようやく実現。これに、町教育委員会も協力した。
 與市は1753(宝暦3)年に生まれ、11歳で江戸へ出た。後漢学を研究して証拠学派を起こし、江戸の「諸家人名録」に載る文化人だった。黄八丈卸問屋「八丈島屋」も営んでいた。同家には江戸時代の黄八丈の柄見本と、多種多様な織りの端切れが1000点余りあることもわかった。
 與市は論語、漢文古典など多くの書物を著した。中には八丈島関係の古文書も多数ある。これらに光があたることで、八丈島の新たな歴史の発見につながりそうだ。
 写真は上から古文書の表紙、本文、黄八丈の柄見本帳、銅鏡、撮影作業中の研究者・對馬秀子さん。






 島と島を結ぶ通信誌・季刊『あいらんだあ』が昨年10月、120号を最後に終刊となった。発行元だった島の愛好家集団「ぐるーぷ・あいらんだあ」も同時に解散した。
 25歳のとき、このグループを立ち上げ、代表をつとめたのは、東京都目黒区、島旅作家で写真家の河田真智子さん(55)。30年間、著作や講演活動、マスコミを通して、歩いてきた国内外の島々の情報発信を続けてきた。
 「子育てや自分の生き方、人とのつながり方など、いつの間にか島っぽくなっていることに気づく」と河田さん。「あいらんだあは愛好会で、30年間と決めて始めた。ライフワークの島通いは続ける。これからは自分の仕事に集中し、島からいただいた知恵を『島の教え』として本にまとめたい。そして、『島に住む幸せ』というテーマで写真展も企画したい」と話す。
 その河田さんに、一般の人が簡単には出かけられない南太平洋の島々から教えられる話を聞いた。
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 「水をたくさん使うな」というのが、若いときに身につけた島旅の心得でした。「島イコール水不足」という現実があったからです。25年前に行ったマーシャル諸島も水不足で、人々の暮らしは水との闘いでした。
 今は独立国ですが、アメリカの半統治の頃に導入された水洗トイレがあちこちにあるのですが、図書館で使おうとしたら、鍵がかかっているんです。
 ホテルのトイレも水洗ですが、水道がないので、「小」を流すのにバケツ1杯の水を井戸から汲み上げなければならない。「大」はバケツ2杯でした。ところが干潮になると、井戸に水がない。潮水が混じるんですね。で、満潮を待ちました。
 お手伝いしましたが、バケツ1杯の水を汲むのに大変な苦労でした。滑走路は斜めになっていてそこに降る雨水を水道水に利用していましたが、遠い所まではその水がいかない。
 島の人たちのあいさつは、「今日は水が出た?」「出ない?」で、日本のように、「お天気」ではないんです。
 サンゴ礁の島は、美しい景色と引き替えに、水で苦労しています。陸地が狭く、樹木が少ないと、上昇気流が発生しないので雲がとどまらず、雨が降らないんです。特にマーシャルは細長い島で、たくさんの木を伐って空港を造ったのも影響していました。
 同じサンゴ礁の島でも、キリバス共和国は、陸地が広くてヤシの木もあるから、水がある。その意味で、マーシャルとキリバスは良い比較になりました。
 日本でも水に悩む島は多くて、海底水道を引いている島は、沖縄にも瀬戸内海にもあります。
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 島に通うようになって36年。興味をそそられるテーマがありました。数年前、奄美大島で「海と森はつながっている」というキャッチフレーズが使われましたが、そのもとの話が「神道(かみみち)」です。
 民俗学的には「昔、上陸した人が水源を求め、往来しているうちに道ができた。海から森に通ずる道。それが神道」といわれていますが、今の人の暮らしに残っているかどうか、肉眼で確認したくて、何年もかけて聞いて歩きました。
 ひとつの発見は、加計呂麻島にあったジグザグ道で、所々ブロック塀が開いていたことでした。民宿のおじさんに聞くと、それが神道だという。火事になったときの避難路であるとのこと。
 都会から移住した人は自分の敷地の境界線をつくるために、塀を築くけれど、「神道はふさいじゃいけない」とおっしゃっていました。
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 奄美大島では、海から吹く風が通り抜ける道を造った。昔の人の知恵ですね。その方が涼しいから。石垣の積み方にもそんな工夫があります。
 沖永良部島には毎年通い、昨年は成人式の写真を撮りに行きました。1万5000人の島ですが、子どもを大事にしていて、子どもたちも、アンケートをとると、「将来は帰ってきたい」という回答が多い。島の学校(主に高校)で「出前授業」を続けていますが、島を好きになってほしいから、子どもたちには「島の好きなところを教えてほしい」とまず聞いています。そうすると、一所懸命見つけて教えてくれます。
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 いまはヨソ者と言われなくなりましたが、八丈島と違って、日本の多くの島では新しい人を受け入れ難いところがありました。最近は小学校の存続の危機に瀕している地域で、ヨソからの移住を歓迎するようになっています。
 もともとは人が住んでいなかったところへ、誰かが住みついて共同体ができているのが島。その視点を忘れなければ、外から来た人を拒絶するようなことはないですね。条件が悪い島ほど地元の人の結束力が強い。八丈島は水にも自然にも恵まれています。それが、住む人の心を豊かにしていると思います。
 八丈島訪問は数えたら、33回(奄美大島は26回、沖永良部島は23回でした)。出版社を辞め、50日間、フリーとしてやっていくためのダイビング修業をしたり。20歳代に集中して通ったので、「島の教え」を最も習ったのは、八丈島の人からです。
 写真は上が加計呂麻島の少年。後ろには神の道が続く。下は奄美大島での出前授業。中央が河田真智子さん。